Connect With Us

clotilde07@hermann.com

Call For Inquiry

45-9601175

Opening hours

Mon - Sun : 09:00 - 16:00

記事 プログラミング+ TK-80、PC-8001、NECのパソコンはこんな偶然から始まった 「革新的な市場が登場してくるときは、関係者の8割が反対しているくらいのときが、それに携わる絶好のタイミングです」

プログラミング+ TK-80、PC-8001、NECのパソコンはこんな偶然から始まった 「革新的な市場が登場してくるときは、関係者の8割が反対しているくらいのときが、それに携わる絶好のタイミングです」

プログラミング+ TK-80、PC-8001、NECのパソコンはこんな偶然から始まった 「革新的な市場が登場してくるときは、関係者の8割が反対しているくらいのときが、それに携わる絶好のタイミングです」
491
630
700
369

TK-80 マイコン技術を日本中に広めた立役者――渡邊和也

渡邊和也(わたなべ・かずや)

1931年長野県生まれ。山梨大学工学部電気工学科卒業。65年、日本電気入社。主としてICやLSIの開発製造に携わり、76年にはマイコンキット「TK-80」を、79年にはパソコン「PC-8001」でパソコン事業参入のチームリーダーを務めた。81年以降はパーソナルコンピュータ事業部長、同社支配人、日本電気ホームエレクトロニクス専務取締役を経て、90年にノベル社長、97年に同社会長に就任。98年より社団法人コンピュータエンターテインメント協会(CESA)専務理事ならびにコンピュータエンターテインメントレーディング機構(CERO)理事。

惑星とトレーニングキット

<1975年といえば、アメリカにとってはサイゴン陥落の年である。『ポピュラー・エレクトロニクス』という雑誌の1月号に、ブルーの金属製のケースに小さなランプとスイッチの並んだ装置が紹介された。これが、ふだん我々が使っているパソコンの大先祖ともいうべき最初期の個人向けコンピュータ「Altair8800」(以下アルテア)のデビューである。

トレーニングキットTK-80の完成状態。インテル8080互換のNEC製マイコンチップμPD8080Aを使用、メモリは512バイト(最大1Kバイト)を搭載。

あいつはコンピュータは、ほかの者よりわかっているかもしれない

――

――

――

――

――

――

――

――

本家より優れたマイコンが売れない

――

プログラミング+ TK-80、PC-8001、NECのパソコンはこんな偶然から始まった 「革新的な市場が登場してくるときは、関係者の8割が反対しているくらいのときが、それに携わる絶好のタイミングです」

――

――

――

< 4ビットが機械仕掛けの置き換え的な使い方が中心だったのに対して、8ビットは、それ自身すでに立派なコンピュータという内容である。事実、渡邊氏の話に登場するソード電算機は、オフィス向けのいまのパソコンに相当する製品にいち早く取り組んでいた。1974年に8080を搭載した「SMP80/20」を、同程度の性能のミニコンピュータが1000万円以上した時代に、350万円で発売。やがて“コンピュータのソニー"とも評されるようになるソードだが、その飛躍の原動力の一つとなったのが、「PIPS」というソフトだった。

コンピュータとして売るつもりはなかった

<8ビットマイコンは、市場を開拓しなければ売れないという点においては4ビット以上だった。しかも、買う側に、それを使いこなす能力(リテラシー)がないとそもそも動機づけも発生しない。国内では、まだまだ4ビットの需要がほとんどで、「8ビットはいらない」という声もあったという。そのため、μCOM80は、とにかく絶望的に売れていなかった。

――

――

200台売れればと思ったものが何万台も売れた

――

秋葉原ラジオ会館7階に開設されたBit-innはマイコンに興味のある人たちの聖地的な存在だった。

――

――

NECの初期の代表的機種となるPC-8001は、1979年9月に発売。PUCにμPD780C-1(Z80互換)4MHz、ROM 24KB(最大32KB)、RAM 16KB(最大32KB)、希望小売価格は168,000円。

1.革新的な市場が登場してくるときは、関係者の8割の人が反対しているくらいのときが、それに携わる絶好のタイミングである。2.既成概念にとらわれてはいけない。とらわれていると新しいものには、なかなか繋がらない。3.いつもユーザーを見てすぐに実現する。競合会社の動きばかり見ているのはダメである。4.世界で起こっている情報を10日以内に仕入れる。とくにインフォーマルな情報に価値がある。

当時を伝える資料によると、渡邊氏は、半導体商社や北海道から九州まであるマイコンショップには毎週のように訪ね、周辺機器やソフトウェアを開発するサードパーティ、Tシャツにジーンズというそれまで同社が付き合ったことのない若い起業家たちと、分け隔てない態度で接していたという。4つ上げていただいたTK-80をなしえたポイントも、むしろ社外の人たちとの関係の中で機能した。その中から予想もしないアイデアやニーズが掘り起こされ、やがてそれがパソコンビジネスの基本的な産業構造になっていくのである。

2010年に東京理科大で開催された「パソコンの元祖TK-80・実演とシンポジウム」での風景。左から『復活!TK-80』著者の榊正憲氏、渡邊和也氏、後藤富雄氏、右端は筆者。


PC-800140周年を記念して発売される「LAVIE Pro Mobile」(PC-8001のキーボードカラーを採用500台限定モデル)についてくるミニチュア「PasocomMini PC-8001」(ほかキャンペーンにも登場)。PC-8001をエミュレーションしており、BASICだけでなくアセンブラも動作するそうだ。下はアスキー刊のムック。私は、PC8001に関しては、加藤明氏と土岐泰之氏、PC-6001では尾崎孝之氏、松田博利氏にインタビューさせていただいている。

遠藤諭(えんどうさとし)

Twitter:@hortense667Mastodon:https://mstdn.jp/@hortense667

タグ: huawei製の電話を車に接続するにはどうすればよいですか