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ブログ EVsmartブログ電気自動車や急速充電器を快適に Honda e で再エネ電力会社を日帰り取材〜EVに乗り始めて気になること 人気記事 最近の投稿 カテゴリー

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往路のドライブ計画に大誤算

しまった……これじゃ間に合わない。福島市に向かうHonda eの車中で、航続距離と所要時間を計算していて、気づいた。このままでは、約束した時間にはまだ道中のどこかで走行中か充電中になってしまうことに。

アポは午後1時。取材先は、飯舘電力という会社の福島事務所。福島県飯舘村で太陽光発電を行なっているが、事務所は福島市内にある。久しぶりに訪ねるので、取材前に飯舘村の状況を見ておきたかった。なので東京から常磐道を海沿いに福島県南相馬市まで走り、そこから内陸に向かって飯舘村経由で福島市内へ向かうつもりだった。

ざっと300キロで充電は3回とみて、朝早く東京の自宅を出たら楽勝と思っていたが、見積もりが甘かった。常磐道の千代田PA(茨城県かすみがうら市)で1回目の充電(e-GOLFが充電中で10分待ち)。続いて中郷SA(北茨城市)で2回目の充電に入った時にもう9時半。この時点で、ただ走って到着するだけでも1時になりそうなことがわかった。あと一回どこかで充電しないと着かないのに……。

仕方がないので、いわき市から郡山市に抜ける磐越道を使ってショートカットすることに。阿武隈高原SA(福島県田村市)で3度目の充電をして、12時半に福島市に到着。無事に話を聞くことができた。しかし、SAPAでは充電渋滞が伸びていた可能性もある。Honda eで長距離を走るときは、かなり余裕を持った移動計画が必要であることを今さらながら実感した。

EV購入をきっかけに『飯館電力』を応援

久しぶりに飯舘電力を訪ねたきっかけは、EVに乗るようになったから。風が吹けば桶屋が…みたいな話で恐縮だが、充電していると電気の由来が気になり出した。「日本ではEVに乗っても脱炭素につながらない」という批判も耳にした。理由は日本の電源構成だ。電力を作るためのエネルギーは、石炭や石油などの化石燃料依存度が85.5%(2018年度、資源エネルギー庁)。政策として再生可能エネルギーを増やそうと動いているけれど、まだまだ少ないのだ。

それを知って、まず、再エネ普及をサポートしようと、自宅の電気を再エネ100%の「みんな電力(みんでん)」に変えた。いわゆる応援消費。「顔の見える電力」をアピールしているみんでんには、特定の発電所を応援できる制度(応援金月額100円)がある。で、応援先のなかに、ちょっとしたご縁のある「飯舘電力」を見つけたのだ。

当たり前のように電気を使ってきて、コンセントの先がどこにつながっているのかを初めて意識したのは2011年だった。東日本大震災で被災した東北の各地を取材して歩いた。そのひとつが福島県飯舘村。福島第一原発の放射能漏洩事故による汚染は、風下になったエリアでより深刻だった。原発立地自治体ではなかったにもかかわらず、全村避難を強いられた。

最初に飯舘村を訪ねたときは、村はほとんど無人だった。牧場も農地も放置され、見渡す限り、セイタカアワダチソウに埋め尽くされていた。役場も村外に移転していて、当時の村長はコミュニティー存続の難しさを訴えていた。全住民への避難指示は結局約6年に及んだ。

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窮地の中で村民が発足させたのが『飯舘電力』。耕作できない農地に太陽光パネルを設置。売電して収入を得るビジネスモデルだ。土地を太陽の恵みで生き返らせる新産業として2014年に会社が設立された。その取材もさせてもらった。以来、折に触れてその後の情報も提供していただいていた。

復興とともに「未来へのスイッチング」へ

久しぶりに訪ねた飯舘電力。福島市の本社で話を聞かせてくれたのは副社長の米澤一造さん。被災前には人口約6,500人だった飯舘村だが、現在の村内居住者は約4分の1。原発事故からの復興というテーマは継続しているが、事業としては新しい段階に入りつつあるという。

それは、再生可能エネルギーによる「地産地消モデル」と「未来のためのスイッチング」を発信すること。震災後の福島県は県内の全エネルギー需要に相当する量を自然エネルギーで生み出す目標を掲げている。

「再エネを県産品と位置付ける。持続可能性や温暖化防止という価値観が重みを持ってきたなかで、飯舘村というブランドを生かしてできることがあるはず」

米澤さんはそう話す。飯舘電力は今、49基の太陽光発電所を稼働させている。設備容量は2.3メガワット。数字の上では帰村世帯のほぼ全数に相当する約700世帯分の電力を発電できる。実際は東北電力と契約している村民がほとんどというが、少なくとも同村に限れば「電力の地産地消」が可能なことを証明している。原発事故からの復興は道半ばだが、誰も経験したことのない苦境の中だからこそ真似のできないフロントランナーにもなれる。

「飯舘村の経験を、風化させずに発信し続けていくのは、私たちの義務だと思っています」(米澤さん)

今、米澤さんたちが力を入れているのが、そうした取り組みを紹介するバーチャル視察ツアー。以前は現地まで行って太陽光発電所などを案内していたが、コロナ禍で中止に。21年からリモート参加できるようにしたところ、申し込みが急増した。すでに2000人以上が参加してくれたという。

復路で飯舘村との距離を実感

帰りは、往路で予定していた道を逆にたどる。まずは福島市から国道114号と県道12号を通って飯舘村へ。村の景色は大きく変わっていた。飯舘電力の太陽光発電所だけでなく、他の電力会社のメガソーラー施設などもあって。あちこちに太陽光パネルが林立している。ただ、幹線道路以外ではすれ違う車も少ない。「いいたて村の道の駅 までい館」でこの日4度目の充電。充電スポットがあるのもうれしいが、道の駅が営業しているだけでホッとする。放射線のモニタリングポストがあって、示されていた数値は「0.092」だった。

そのまま南相馬市に抜けて、国道6号を南下する。この道は原発事故の避難区域を南北に貫いている。廃炉作業が続く福島第一原発から約2キロという場所も通る。当然、事故直後は通行止めになった。自動車は2014年9月から(二輪車は20年1月から)全線が通行できるようになったが、軽車両と歩行者はまだ通れない。交通量は多い。トラックなど大型車両が目につく。

南相馬市小高区から浪江町へ。道の両側に家屋や施設の明かりがある。復興を感じさせる一方で、閉じた商業施設も目につく。さらに走ると、双葉町と大熊町では、道の両側がほとんど帰還困難区域だ。ヘッドライトに浮かび上がる立ち入り禁止の鉄柵。放置されたままの家屋。福島第一原発の看板がかかっているあたりで東側に視界が開ける。前に来た時は林立するクレーンが望めたが、今回は暗くてよく見えなかった。

富岡町まで抜けていくと、少しずつロードサイドに賑わいが戻ってくる。幹線道らしい景色と、真っ暗な無人地帯との強烈なコントラストに、失われたものの重みを感じさせられる。

広野町に入ると国道が渋滞がちになったので、常磐道に乗る。四倉PA(いわき市)で軽食を取りつつこの日5度目のチャージ。さらに友部SA(茨城県笠間市)で最後の充電をして東京へ帰着した。1日の間に充電6回、600キロ強を走る強行軍だったが、この距離は、電気が送られてくる距離なのである。ちょっと遠過ぎない?

みんな電力は、使用量に合わせてFIT電気や非化石証書等を組み合わせた再エネ100%提供で、私が選んだ飯舘村の「応援発電所」から電気がはるばる送られてきているわけではない。だけど、福島県の原発からはリアルに首都圏に電気が送られていた。地方に作られた水力、火力、原子力発電所から都市へ何百キロもつながる送電線と、それを支える巨大な鉄塔群は、すっかり見慣れた風景になっている。

電気自動車で発電所を訪ねてみるというのは、ほんの思いつきだったが、ドライブしながらいろいろ考えることができた。集中型のエネルギーシステムは効率的だったかもしないが、リスクも少なくない。「電力の地産地消」というのは、未来を考えるためのキーワードのひとつだと実感できた。

(取材・文/篠原 知存)

タグ: 愚かなとは無人運転を意味します